1.ロボット評論                    

            

1)「ロボット学」と「ロボット工学」             (2001.1.10)

                                

 ロボットの研究には「ロボット学」と「ロボット工学」の2種がある.

 ロボット学は純粋に学問としてロボットを対象とする真理の追求であり,直接ロボットの利用や人間に役に立つなどの有用性は重要視していない.もっとも一般の理学と同じくいずれ役に立つという意識を研究者が持つことはあり,実際に役に立つケースもある.しかしロボットの研究論文で有用性を主張していることが多いが大抵はこじつけである.International Journal of Robotics Researchの研究論文

はほとんどがロボット学であり,ロボット学会誌の半分以上はそれに当たる.ただし真理の追究という根本原理から見て重箱の隅をつつくtrivialな研究が多い感を免れない.

 ロボット工学は明確な目標を持った開発研究であり,有用性が最重要性を持つ.開発と言ってもロボットそのものの製作(ハード)もあり,手法の開発(ソフト)もある.オリジナリティという点ではロボット学で提唱された方法論の応用であり評価が低い.ロボット学会誌の論文になりにくいのもオリジナリティの主張が弱く(やれば誰でも容易にできるから),有用性が軽視されているからである.

 ホンダ(株)は2足歩行するヒューマノイドロボットを開発した.人間並の歩行ができるロボットは世界で初めてという快挙であるが学問的には評価は高くない.あれは昔俺が提案した手法ではないかというのである.過去に提案された手法やコンセプトは山ほどある.後からものを作ればそのどれかに当たるだろうが,手法提案者と実際にやって見せた開発者とどちらが表彰されるべきであろうか.

 

(2)日本におけるロボット研究の流行               (2001.4.4)

 

 ロボットの研究開発の活動は戦後まもなくからアメリカから始まった.その後のロボット工学の1970年代までの発展の歴史は「ロボット研究の流れ」(辻三郎,bit1976.7,ロボット臨時増刊号,667p)に詳しい.

 日本のロボット研究の草分けは1970年前後からで,私の記憶では東大の藤井澄二研究室,東工大の森政弘研究室,早稲田の加藤一郎研究室などが際だっていた.特に藤井教授は優秀な弟子が揃っていたこともあって次々と新しい概念の制御手法を提案実現し,現在研究の種となっている制御の基は大抵ここにあると言っても過言ではない.藤井教授は学究肌の謙虚な方で,ロボット研究の赫々たる成果を残しながら決して派手に宣伝することもなく,そのせいかその偉さが現在の若手には認識されていない.アメリカ式の自己主張が強いロボット工学の世界で,輝かしい業績を挙げながら黙って研究を続けていく藤井教授に,私は直接教えられた経験はないけれど常に尊敬の念を抱いている.

 

 さてここで述べようとしていることは,日本のロボット研究の流行についてである.ロボット工学は新しい分野であるためか,他の伝統ある工学分野とかなり異なる傾向を持っている.それは研究対象に流行があるということである.もちろん他の分野でも時代によって日の当たる部門と日陰の部門があり,日の当たる部門の勢いがよいのは当然であるが,しかし日が当たるからと言ってそこに大勢が群がるということはない.ロボット工学の世界では群がるのである.

 1980年はロボット元年と言われ,ロボットに世間の注目が急に集まり,ロボット研究者も急速に増えだした年である.「ロボットピア」「ロボチックス」「ロボットエンジニアリング」などの雑誌が雨後の竹の子のごとく生まれ,そして消えていった.ロボット研究の流行はこの時期から始まっている.

 流行した研究の対象を思いつくままに時代順に列挙すると以下のようなものがある.

「ロボットシミュレーション」

「2足歩行ロボット」

「DDロボット」

「形状記憶合金」

「フレキシブルマニピュレータ」

「ファジイロボット」

「パラレルメカニズム」

「ニューラルネット・GA」

「H∞制御」

「分散制御ロボット」

「群ロボット」

そして現在は「ヒューマノイドロボット」が流行のキーワードである.

これら研究対象のいくつかはロボット学会誌の特集のテーマとして集大成が述べられている.興味があるのはこれらの対象に多数の研究者が,短年月のうちにわっと集まりわっと消えてしまったことである.そして多くはさしたる有用な成果もなく終わっている.

 「ロボットシミュレータ」はパソコンが普及し始めた時期と一致し,多くのシミュレータが発表された.しかし大抵は利用もされずに消えていったものと思われる.シミュレータはロボットを設計したり生産工場でロボットをどう使うかというときに役に立つ.しかし未だ確たる設計システムが開発されず,工場のCADも最近始まったばかりで,シミュレータの登場するチャンスはなかった.現在はシミュレータの開発は容易である(環境や基本データのコンピュータへの入力をどうするかは別にして).当時のシミュレータ開発技術はあまり生きていないと言うべきであろう.

 「DDロボット」「形状記憶合金の利用」も一時もてはやされていたが,結局役立たずに終わっている.これらはロボットのための高性能アクチュエータが欲しいという切実な要求があったから開発に熱が入ったのであるが,その要求に応えられなかった.

 他の流行研究対象にも全て言えることであるが,この流行に火をつけ多くの追随者を従えて主導的に研究を進めた誰かがいるはずである.その誰かは流行の火が消えかかった頃を見計らって,研究の総括をすべきである.先が見えたからといってみんなが浮かれている中に秘かに身を引くのは卑怯というものであろう.

 ロボット工学は新しい分野であるから,何をしても新しいはずであるが,残念ながら手法は制御理論,人工知能,機構学,情報処理など他分野の借り物であり,ロボットという対象に応用して際立った性能アップが見込めるかどうかが研究の価値を決める.どんな研究をしたら価値があるかに悩む研究者が流行テーマに飛びつく気持ちは分かるが,その他大勢に埋もれるよりは今はどうなるか分からないが意外に掘り出し物(西沢順一の言)かも知れないテーマ,いわゆるニッチテーマを地道に探す方が結局は自身のためにも,ロボット研究の底上げのためにもはるかに役に立つのではなかろうか.流行を追うのはやめよう.

 

(3)RECSのすすめ                    (2001.1.10)

                                                              

 最近は人間社会にロボットが利用される機運が高まってきた.ソニー(株)のAIBOはその幕開けを象徴する画期的なロボットである.おもちゃやペットとしてのロボットは以前に全くなかった訳ではない(例えばTOMYの5自由度操縦ロボットなど)が,時代が早すぎたと言うべきであろう.

 ペット以外に会社の受付や遊園地での子供の相手や見せ物としてロボットが我々の目の前に現れるだろうが,おもちゃと見せ物だけで終わってしまえば200年昔のお絵描きロボットの見せ物と同様にいずれ飽きられるだろう.

 ロボット利用のニーズとシーズのもっとも高いのが福祉ロボットである.この実用化は急務であり,また20年前のロボットフィーバー(ロボット元年)と同じフィーバーが起こりつつある現在,実用化研究を一挙に進めるチャンスである.

 人間と混在して何らかの作業をするロボットには工場で働く単能なロボットと違って「環境の多様性」と「作業の多様性」が要求される.結局は高度な知能ロボットを要求することになりまともな方法ではいつ実現するか分からない.大抵のロボットの研究者はそのまともな研究をしているが実用化をどのように考えているのだろうか.

 実用化を主眼にした開発手法がここで提案する「RECS」である.RECSはRobot Environment Compromise System(ロボット・環境妥協システム)であり,ロボットにとって難しいことは環境に負担して貰うというコンセプトである.

 移動ロボットのナビゲーションを例として考える.家庭環境を考えればロボットは眼(TVカメラ)で周囲を見て自分の位置を確認しぶつからないように移動せねばならないが,これは現在の技術では至難の業である.工場の搬送車のように床に誘導線や磁気テープを張り付けてそれを頼りに動けば確実で容易である.誘導線を張るのは環境への負担の1つであるが,家庭内では負担が大き過ぎるので周囲を認識しやすいように所々にマークを付ければよい.認識しやすいマークを付けるという環境改変だけでロボットのナビゲーションが極めて楽になる.

 別の作業ロボットの例を考える.家庭内作業の1つとして食器の後片づけがあるが,テーブル上の食器を全て片づけ,洗い,食器棚にしまいたい.たったこれだけでもロボットの作業は多様過ぎて普通では高度の知能ロボットでも難しい.しかし食器に識別のマークを付け,食器洗い機や食器棚,その取っ手やハンドリングする箇所などなどにマークを付け,単純なハンドでもハンドリングし易いように対象を改変するとこの一連の作業が実現できる.

 これがRECSの考え方である.ただし環境は人間も共存するからロボットに都合が良くても人間に都合の悪い目障りな改変は望ましくない.人間にもロボットにも優しい環境改変がRECS固有の技術

であり工夫が要求される.更に環境改変にはそれなりのコストがかかるが,社会がそれを認め積極的に改変を支援する体制が不可欠である.

 RECSは特に真新しい考えと言うわけではない.工場では100%改変した環境でロボットが働いている.マークとその認識に関しても一連の研究論文がある.問題は福祉ロボットを始めとする人間ロボット社会のロボット開発に携わる研究者がRECSを意識するかどうかである.彼らにこの疑問を呈することがあるが,やればいつでもできるから今はやらないというのが答えである.RECSの技術開発は既存技術の応用が多く研究論文になりにくい.社会の要請より先端性を望む研究者の1面であろう.

 早期の実用化にはRECS以外に考えられない.この方面の研究が盛んになることを念願してやまない.

 

 なおRECSは人間環境だけでなく他の分野へのロボットの導入にも役に立つコンセプトである.現在リサイクルの自動化の研究を始めているが,ここでもロボットに難しいことは周辺への考えが応用できる.

 

RECSに関する発表論文:

1. “人間・ロボットの共存のための実践的技術(RECSコンセプト),人間と共存するロボットに

 関するシンポジウム前刷集,1994.4pp12-20

2. “環境からの歩み寄り,ロボットルネッサンス(吉川弘之監修),三田出版会,1994.11pp43-67

3. “RECSコンセプトに基づく屋内移動ロボットシステムの開発,精密工学会誌,Vol.62No.61996.6

 pp815-819

4. “Development of indoor mobile robot system based on RECS concept”, Proc. ICARCV’96, 1996.12,

  pp868-872

5. “Development of indoor mobile robot navigation system using ultrasonic sensors”, Proc. ICV’98,

  1998.3, pp345-349

6. “Task of opening and passing through a door by a mobile manipulator based on RECS concept”,

  Proc. ICV’98, 1998.3, pp285-290

7. “RECSコンセプトに基づいたロボットによる食器の認識とハンドリング,電子学会論文誌C,

  Vol.120-CNo.52000.5pp615-624              

 

(4)リサイクルの自動化                   (2001.4.4)

 

 2001年4月1日から家電リサイクル法が施行された.自動車リサイクル法も来年中に公布される予定だという.消費者が払うリサイクル料金が高いのも問題であるが,メーカが1台当たり2700円(テレビ)や4600円(冷蔵庫)でリサイクルできるとは思えない.

 リサイクル工場は吉川弘之教授が言う「インバースマニュファクチャリング(逆生産)」そのものであり,組立が自動化していると同程度に分解仕分けの自動化が要求される.

 工学でよく言われる解析と総合(analysis and synthesis)は,総合の方がはるかに難しいのは誰でも知っている.製品の組立と分解(生産と逆生産)は総合と解析に対応するが,この場合は分解(解析)の方が難しい.エントロピーの概念から言えば,組立は秩序を高めるからエントロピーが低く,分解はそれを高い方に移すことであり,丁度暖房の方が冷房より容易であると同じく,容易であるはずである.すなわち原理的には組立より分解の方がコストは低い(技術的に容易な)はずで,いずれそうなるという開発目標を据えることができてやり甲斐があるが,しかし現在は分解の方が難しい.

 リサイクル工場を見学させて戴いた感想を言うと,難しいのは多様な設計の製品が流れてきてそれぞれに対応する作業が必要なこと,及び分解後の部品を材質毎にかなりの純度で仕分けしなければ再利用できないことであると思われる.

 仕分けの自動化は比重差や磁気などによってある程度自動化が進んでいるが,分解は手作業が圧倒的である.これから組み立てた数だけ分解に回ってくることを考えるといつまでも手作業に頼るわけにはいかないだろう.もっともリサイクル工場の担当者は戻される率を低めに見積もっており,分解自動化の緊急性の認識なない.またこれからは分解容易性を考慮した製品設計を行うからその製品に対して自動化を考えればよいと思っている節がある.

 しかし前述のように,組立の自動化と同程度の分解の自動化が要求されるのは焦眉の急であると私は思う.テレビ・冷蔵庫・洗濯機は年間500万台前後,クーラーは1998年には1400万台生産されている.そのうちにパソコンのリサイクルも始まるだろう.徹底的な省資源を図るなら自動車を初め家具,建築物,衣服,食物などあらゆる工業製品をリサイクルするのが筋である.分解自動化は家電製品だけの問題ではない.ここに共通する課題は,多様な対象物の分解自動化をどうするかである.

 20数年前に組み立て自動化の研究が盛んに行われ,牧野洋教授が発明されたSCARAロボットが実用化されて日本はおろか世界中で自動化のためのロボットとして現在でも圧倒的多数で使われていることは周知である.SCARAロボットは精度の維持,構造の単純さ,高速性,信頼性,コストなどの面で組み立て作業に最適なこと,及び「組立作業を全て上からする」に徹しユーザにそれを要求して受け入れられたことが普及の要因だったと思う.

 20数年後の現在それと似たシチュエーションで分解自動化の研究開発が要求されている.多様な製品の分解作業には分解順序を知り,その順序に従って自律的に分解作業を行うことが必要で,典型的な知能ロボットが要求される.知能ロボットは研究室レベルでは高度な作業(動作)ができるが,実用にはまだほど遠い.その原因として外界認識の信頼性の低いこと,動作が遅いこと,システムが大きくなりがちでコストが合わないことが挙げられる.これらの問題点が近い中に解決されるとは思えない.ロボット研究の正攻法では分解自動化の要求に間に合わない.

 ここで提案するのがRECSコンセプトの拡大解釈である.すなわち分解工場は人間・ロボット混在システムとする.現在の実用になる技術でカバーできない作業は人間が行う.例えば分解する製品に予め人間が分解手順を示すコードを張りつけておく.またロボットがアクセスすべき位置(ねじの位置など)にロボットが認識しやすいマークを人間がつける.その他ロボットにとって難しいことを人間が代行する.ロボットに難しいといっても大抵は人間にはごく易しい作業である.人間は軽作業のみで仕事が楽であり,ロボットは易しい認識と単純な力作業を受け持ちこれはロボットにとって楽な仕事である.また高価なロボットを必要としない.

 人間ロボット混在工場の効率は人間をどれだけ減らせるかにかかっている.これはまたロボットがどれだけのことができるかによる.マークなどによってロボットに教えるその教え方の上手下手にも依存する.RECSは既存の技術を利用すると言ってもRECS固有の技術開発が必要である所以である.更にねじが錆びついていてロボットには取れないといっても,そこに人間が関与するのは避けたい.錆びついたねじを取る工夫はロボット側がすべきである.このような泥臭い技術開発が分解自動化には沢山ある.20年前に牧野教授がSCARAロボットの実用化に苦労したと同じかそれ以上の苦労が分解自動化に必要なのである.

 

 家電メーカは何も言っていないが,もしかしたら分解自動化の開発研究を既に始めているかも知れない.ホンダ(株)のヒューマノイドロボットが2足歩行研究者の顔色なからしめたと同じように,分解ロボットがメーカから突然出現したら大学・研究機関のロボット研究者の恥ではなかろうか.